ペンギンは滅びた人間の夢をみる ペンギンは滅びた人間の夢をみる ペンギンは滅びた人間の夢をみる

ペンギンは滅びた人間の夢をみる

 

ペンギンは滅びた人間の夢をみる

 


 おぼろげな記憶なのだが――。
 確か『能ある鷹は爪を隠す』という言葉が東洋と呼ばれる地域にあったはずだ。それはコトワザという決まり文句に分類され、意味は知恵のある鷹は普段から尖った爪を剥き出しにせず隠しているものだ、ということだ。コトワザの中には人間が生きていくうえで重要な意味合いが込められているそうだ。
 まあ、鷹程度ならそんなものだろう。
 だが、我々ペンギンなら爪を隠すどころか、ツメキリでパチパチ器用に切ることもできる。おまけにこぼれた爪の切りくずを拾って紙とかに包みゴミ箱にポイすることもできる。だいたい鷹など鳥類四天王の中でも最弱なのだ。所詮は爪を隠すのがせいぜいだ。
 しかし、その程度の事実に生き様の指針を見出そうとしていた人間には呆れるというか、やつらも高がしれている。そんなだから滅びるのだ。鳥類四天王最強のペンギンの手によってな。
 少し前から激しい風の音と割れそうな窓の音しか聞こえない。窓に映る景色は隅から隅まで嵐だった。
 地殻変動の前触れか、あるいは氷河期の第一歩かそれとも地球熱帯化の叫び声か――いずれにしても近く訪れる未来であることは間違いない。なにしろありとあらゆる分野に精通し、なかでも地球研究の第一人者としてしられるロッテンマイヤー・ペンペン女史が『近く地球が荒れ狂う』と断言したのだ。これまでの非凡な研究成果から、女史の言葉を聞いた者は疑うという行為をすっ飛ばし、報告を事実として受け止めた。ロッテンマイヤー女史はなんでもお見通しだ。押入れに柔らかい白パンを隠しておいてもカチカチのカビだらけになるだけだと言い当てたのも女史だ。ペンギン界はじまって以来の衝撃だった。
 とにかく、外は嵐。だが、じっとしてはいられない。喉が渇きひりついている。かつて人間の棲家だった建物をあさって食べたポテチなるものが脂っこくてやたら塩辛かったのだ。オレは外にでて海へ向かった。青魚が恋しかった。
 飛ばされそうなほど風がきつかったが、雨は降っていない。歩くうちに潮の香りを感じた。海だ。産まれたての赤ちゃんペンギンの毛よりも色濃い灰色に染まった雲が空を満たし、海を余さず覆っている。荒れる波ごと押し潰してしまいそうに見える。
「なんだ、ボウじゃないの」
 甘ったるく耳に絡みつく声。親しい者だけが使う呼びかけに、オレは振り向く。
「ロマンか。久しぶりだな」
 メスペンギンのロマンが波止場の街燈にもたれてながら妖艶な微笑を浮かべていた。黄色い嘴の間にちらりと艶かしい光が揺れた――飲み込む前のカタクチイワシだ。青白いウロコの煌めきだ。
「最近、すっかりご無沙汰じゃないの」
 彼女はかつてグラビアモデルとして若いオスペンギンたちを虜にしてきたほどの美貌の持ち主だった。だが、浮き沈みの激しい世界からすっぱりと手を引き、いまでは自分の店を構えてカウンターでハイボールを作る毎日だ。店では、「あまりかき回してはダメなのよ」と口にしながらステアをアホウのようにグルグル回す。
「今夜はこれないの?」
 艶のある眼差しをオレに向け、舌なめずりをしてゴクリと喉を鳴らした。カタクチイワシをようやく飲み込んだようだ。
「これから食事にいって、そのあとは夜まで泳ぐつもりだ。独りになりたいんだ。また今度顔をだすよ」魚をすぐに丸呑みせず弄ぶ女はキスが上手いらしい。だが、やはり今日は独りになりたい。
「そう、残念」
 肩をすくめてくるりと背を向ける。ロマンは振り向かずにフリッパー(翼)を振った。
「あてにせず待ってるわ。ボヤッキー・トンズラさん」
 フルネームで呼ぶな、とあれほど言っておいたのに。そういうロマンのフルネームはエロマンガ・トウだ。お互いフルネームでは呼ばないという約束だったはずだ。約束を破るのは女の特権ではあるけれど。
 それでも彼女の背を見送るオレは無言だった。文句のひとつも口にしない。男は言葉じゃなく態度で示すものだと親友が教えてくれたから。
 だから高く力強く中指を立てた――と言ってもオレたちの指の骨は四本しかないから中指と呼ぶべきかどうかわからない。それにフリッパーに隠れて指の骨は見えないだろう。だが、心意気だ、そんなものは。
 波止場から海へ飛び込む。激しい水音が海水を震わせ耳に届く。泡がオレの躰と踊り、後ろへ後ろへと流れ消えていく。
 曇天を映した薄暗い海に潜り魚を探す。見つからず一度海面まで浮上し空気を吸い込む。再び潜る。もっと遠くへ――いた、アジの群れか。泳ぎは速いがこちらも負けていない。嘴を開き群れに突っ込む。
「獲った。獲ったどぉー!!」
 なぜか叫びたい気分になった。そう叫ばねばならぬ約束事があるような――そうか、これが野性というヤツか。アジはすこぶる脂が乗っている。泳ぎながら飲み下し、もう一度群れを追う。
 オレは自由を感じた。好きに泳ぎ、好きに魚を喰らい、そして独りでいる。これ以上の自由はない。

 腹が満ちたオレは、適当な島に上陸し、砂浜に立ち尽くした。嵐を抜けてきたらしく、雲が厚いが風はさほどでもない。
 はじめて足を踏み入れた島だが、そこそこ大きい。ペンギンが棲んでいる気配などまったくない。無ペンギン島なのだろう。木々が生い茂っており、ざっと見てトウキョウドーム二個分の広さはあるだろうか。因みにトウキョウドームとは広い面積を表すときの単位だが、具体的にはどれぐらいの広さかかえってよくわからなくなる。高さを表すときに使うイチエンダマ○○枚分という単位もあるがあれもかえってピンとこない。まあ、そういうもんだ。
 砂浜からぐるりと景色を見渡す。雲と海と陸地が見える。その何処にも人間はいない。
 もう待てなかったのだ。地球が狂えば、力ある生物は生き残るために足掻き、他の種族を平気で犠牲にする。力ある者の名を人間という。だからペンギンが人間を滅ぼした。生き残るために。
 地殻が変動して多くの陸地が海に没しても、ペンギンならば生きていける。氷河期が訪れても南極ペンギンらが対応し進化するだろう。熱帯化にはガラパゴスペンギンらが適応するに違いない。ペンギンこそ地球が課すサバイバルレースを勝ち抜く資質を有す優れた種族であり、人間などレースに参加する資格すらなかったのだ。
 愚かな人間は鳥類を侮りすぎた。カラス程度の知能が鳥類の最上位だと勝手に思い込み油断していたのだから苦笑するほかない。高みに登るほどに足元を見やることを忘れるものなのか。反面教師とせねばなるまい。
 もうすぐペンギンが地球を制すだろう。人間を滅ぼしたいま、彼らの持っていた文明とやらも、もはやペンギンのものだ。多くのペンギンたちが飼いペンギンのスタイルで人間社会に紛れ込んで学んだ結果だ。学者などの家に潜りこんだ仲間の功績は大きい。そして我々の知能を持ってすれば人間の英知を盗み使いこなすことなど容易いのだ。シャチには無差別の電気ショックを与えてやればいい。白熊は遠く離れた場所からライフルで狙撃する。ゴルゴペンギーンという凄腕のスナイパーがいるらしいが、幸か不幸かオレは逢ったことがない。鳥類四天王で唯一警戒すべきは知能の高い梟だろうが、夜しか活動できないという弱点がある。残る雀はなぜ四天王入りしているのかわからないし、「オマエ、絶滅危惧種で個体数少ねーじゃんか」と言ってやると「おまえらも危惧種だろ、バーカ」などとピーチクパーチク口汚なく囀る。ユーモアを理解しない奴は大成しない。
 ふと気がつくと、オレは左のフリッパーをさすっていた。荒れた海を見ていると親友を思い出す。そうすると無意識に左フリッパーをさすっているのが常だった。
 親友の名は――いや、その名にもう意味はない。滅んだ過去の生物の名を覚えておく必要はない。滅んだ人間の名など、誰が――。
 空が光を孕み、そこから雷が奔った。何処に落ちたのだろう、どこか遠くに落ちたのは間違いない。やがてゴロゴロと空が震えた。
 オレはペンギンが人類を滅ぼした残虐な方法を思い出していた。ブルリと首を振ったのは、雷のせいなんかじゃない。幸いにして諜報部員であるオレはこのフリッパーを人間の血で染めることはなかったが、その方法はあまりに残虐だった。
 まず、囮が人間の傍をヨチヨチ歩いてみせる。
 そうすると「やだ、カワイイ〜」とか言って人間が無防備のまま近づく。そこで、有無を言わさず嘴で目を突くのだ。すると、きゃっと悲鳴をあげて人間は倒れのたうつ。その時点では目を痛めただけで大したことはない。だが、そこで隠れていた大勢のペンギンが一斉に襲いかかり、嘴でひたすらくすぐり倒すのだ。延々とくすぐると人間は過呼吸になり、やがて酸素がまともに取り込めなくなり、絶命する。世界のあちこちで人間がペンギンにくすぐられ、悲鳴にもならぬ叫びをあげて息絶えていった。
 そんな惨劇が繰り広げられる前、オレは人間社会に潜り込み、ペンギン界に人間の情報を送り続けていた。オレを飼っていたのは――そうだ、親友のジョニーだ。やっぱり名前を忘れ去るなんてできない。髪はクセの強いブロンドで、陽気で、バーボンが好きで、涙もろくて、とてつもなく優しくてバカな男だった。

 出会いはとある湾岸道路だ。海は凄まじく荒れていた。そして弱って波打ち際に倒れている野ペンギンのフリをするオレを見つけ、車をとめて拾いあげたのがジョニーだった。
 ジョニーはオレを懸命に手当てしてくれた。疑うこともせずに。
 オレが家に転がり込んだ次の日には、専用のベットが業者から運ばれてきた。ジョニーは毎日出勤前に市場へ走り、獲れたての魚を買ってくれた。オレが元気になったフリをすると、足を鳴らして喜んでくれた。なんてバカな男なのだろう。バカで、バカで、どうしても憎めない男だった。
 別れは突然だった。ある日、オレたち諜報部員全員に帰還命令がだされたからだ。
 帰り着いた者から順にペンギン界総本部に集められた。そして持っているだけの情報を提出した。あとで知ったが、帰還命令がだされたのはロッテンマイヤー女史の報告があった翌日だった。
 二度と人間界に戻れないなんて思わなかった。帰還命令を果たせば上司に無理を言ってでも、ジョニーの許へ戻るつもりだった。だが許されるはずもなかった。諜報部員帰還と同時に人間殲滅作戦が実行されたのだ。そしてそのまま――。
 オレは目を閉じ、またブルリと首を振った。すると首周りから水が飛び散る。人間はこの仕草を「かわいい〜」などと言っていたが、単に無知なだけだった。これは鼻水だ。ペンギンなりに手洟を飛ばしているのだ。
 空を見あげ、雲を割って幾筋かの光が降っていることに気づく。オレはぼんやりとそれを眺める。
「ボヤッキー・トンズラ……か」
 独りになるとつい口にしてしまう。
 なんと素晴らしい響きだろう。意味はわからない。それでも優雅でしなやかな調べであることはペンギンにもわかる。オレの名はジョニーがつけてくれたものだ。ロマンも同じだ。グラビアモデル後に諜報部員として人間界にまぎれていたのだ。彼女も飼い主であった人間を親友と呼んでいた。だから、決してこの名を手放さない。親友以外からフルネームで呼ばれたくもない。ボヤッキー・トンズラもエロマンガ・トウも、この麗しい響きで呼びかけてくれるのは、いまは亡き親友だけでいい。
 ロマンもおなじ想いだったはずなのに、今日に限ってフルネームでオレを呼んだ。嵐だったからなのか。寂しさに耐えかねていたのだろうか。オレは力強く彼女のことを、「エロマンガ・トウ」と呼べばよかったのか――。
 不意に、背後で草が揺れた。
 振り向くと影が身を捩り逃げていった。茂みが少し揺れている。
 オレは気配を殺し、影のあとを追った。生来の好奇心と、言葉にできない不安が背を押した。
 音をたてぬよう草をゆっくりかき分けて進むと、雷が光った拍子に足元でなにかが煌めいた。
 首を傾げて光ったものを拾う。細い、糸のような、波をうった金色の――。
 波をうった?
 金色?
 目を凝らした。クセの強い金色の髪、まさか。
 馬鹿馬鹿しい。そんなはずはない。オレはきつく首を振った。鼻水が飛んだ。
 ジョニーは死んだんだ。亡骸を確認することはできなかったけれど、人間は滅んだんだ。
 嘴を噛んで項垂れる。その時、視線の端になにかが映った。
 白いもの――肌? 足か? 人間の足なのか?
 間違いない。茂みの狭間から人間の足がわずかに覗いていた。
 ジョニーか? いや違う。ジョニーじゃない。その足はあまりに小さすぎる。
 頭が混乱した。それに気づいたのか、白い足は茂みのさらに奥へと消えた。
 追いかけることはできなかった。確かめてはならないものがあるような気がした。オレは向きを変えて一目散に海に飛び込んだ。
 魚を捕まえ、「獲ったどぉー!!」と言う間も惜しんで浜に投げ、また波間を割って潜り、魚を探した。
 なん匹かのよく肥えた魚を捕えてから、はたと気づいた。魚を生で食べる人間は東洋の島民ぐらいなものだったはずだ。こんな島に火を起こす道具などないだろう。
 やれやれ、面倒なことだ。

 オレは身を翻して泳いだ。夢中で海を渡って波止場に戻ると、人間が残した家に飛び込んで、なかを漁った。ポテチ、クッキー、缶詰、などなど。それらをかき集めてバックに放り込む。
 そう言えばジョニーはいつもバッグを持ち歩いていた。
「いいだろ、これ。エコバックって言うんだ。地球に優しいんだ」
 その袋を使うことだけで地球に優しいつもりでいられる人間の思考や価値観、責任感はよく理解できない。だが、オレにとってジョニーは誰よりも優しい男だった。
 頭の中で誰かの声がして、木霊のように響き渡った。
 ――島にいたあれはジョニーじゃない。断じて違う。
 ああ、そんなことはわかってる。そしてどうでもいいことだ。それでも、オレはいかなきゃならない。
 疼く左腕に鮮やかな黄色の蛍光リングをはめた。ジョニーの飼いペンギンだった頃のものだ。「これをはめていれば、絶対にお前を見失わないからな」と笑っていた。バカだな、やっぱり。オレがお前を見失っちまったじゃあないか。
 波止場に戻り、バックを背負いなおす。躰がいつもより軽いと感じた。
「まったく面倒だ」
 話しかけるように呟き、海へと飛び込んだ。
「面倒だ、面倒だ」
 鼻歌のように繰り返しながらオレは泳いだ。ただひとり、無ペンギン島を目指して。

 

 

(了)



 本作品は“「地球・環境・自然」そして……「再生」”をテーマとした『ペンギンフェスタ2012』参加作品です。
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